@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002028, author = {荒木, 映子 and ARAKI, Eiko}, issue = {1}, journal = {神戸女学院大学論集, KOBE COLLEGE STUDIES}, month = {Jun}, note = {P(論文), 第一次世界大戦についての歴史研究は、戦場や戦闘体験に力点を置き、非戦闘員が銃後で味わった苦悩や、女性が戦地で行った看護婦や救急車運転手の仕事は、いわば「記憶喪失」の状態に置かれてきた。本論は、西部戦線の野戦病院で看護婦として働いた二人のアメリカ人女性の体験記を、「シェル・ショック」の文化史と関連させながら、モダニズムの系譜の中に位置づけようとする試みである。イギリス人女性だけでなく、アメリカからも多くの女性が、アメリカが参戦する前から、海を渡ってヨーロッパの戦場でヴォランティアとして働いていた。エレン・ラ・モットとメアリー・ボーデンは同じ野戦病院で働き、戦場から運ばれて来る「人間の残骸」と化した傷病兵を看護した経験を、独特の文体と形式で表現している。感情をまじえず、単調な繰り返しを用い、モンタージュのように断片をつなげる手法は、モダニズムのキャノンに直結すると言える。病院は、言わば「第二の戦場」で、看護婦達が患者を守って戦う場であり、ここで戦うためには、巨大な「戦争機械」の一部に組み込まれ、無感覚な自動人形となることが必要であった。「無感覚」は、神経がまいらないようにするための防御装置であると同時に、それ自体が大戦中に兵士の間で蔓延した「シェル・ショック」の症状と言えるのではないだろうか?もともと男の病気とされた「シェル・ショック」は、医学的、文化的にいろいろな意味づけをされてきたが、男女を問わず戦争や災害等をきっかけに発症するものであるという認識に変わってきている。大戦時の医療・看護従事者のトラウマについての研究も始まり、フェミニスト達からは「もう一つのトラウマの歴史」が提唱されている。戦闘員が経験したのと同じようなショックがきっかけとなって、看護婦達は、悪夢のような体験を表現する新しい言語と形式を見出そうとした。大戦のトラウマ経験を文学と芸術の歴史に位置づけてみると、それは、大戦前の世界に対するショックと幻滅からすでに始まっていたモダニズムやアヴァン・ギャルド運動を加速化させたと言えるし、二人のアメリカ人女性の作品もその系譜の中に含められることは間違いない。}, pages = {1--20}, title = {「第二の戦場」のモダニズム}, volume = {60}, year = {2013}, yomi = {アラキ, エイコ} }