@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002040, author = {鵜野, ひろ子 and UNO, Hiroko}, issue = {1}, journal = {神戸女学院大学論集, KOBE COLLEGE STUDIES}, month = {Jun}, note = {P(論文), 米国の詩人 Emily Dickinson は生前、友人や近所の人々の間では優れた園芸家として知られていました。彼女はまた植物標本帳を作っていましたが、その中に Lonicera Japonica (日本産スイカズラ)と Chaenomeles Japanica (ボケ) の花の押し花があります。本論では、彼女がその日本産スイカズラをどのようにして手に入れたかを考察します。一般には、日本産スイカズラは、1862年に George Rogers Hall によって、他の植物と共に横浜からロングアイランドの Parsons という、養樹園に運ばれ、そこで増やされてアメリカ中に広まったとされています。日本産スイカズラはその甘い香りと蜜のおかげで、当時、人々を魅了したそうですが、やがて米国東部の気候や土壌に適合し、特に東南部ではその土地の植物を駆逐し、繁茂してしまったので、今ではひどく嫌われているそうです。Judith Farr は The gardens of Emily Dickinson の中で、Dickinson の植物標本帳にある日本産スイカズラは Parsons 経由のものだとしています。しかし Dickinson はその花の標本のところに、Lonicera というラテン名しか書き込んでおらず、その後ろに長いダッシュを付け加えています。もし、Parsons 社から手に入れたのであれば、ダッシュの代わりに Japonic という名前をいれたに違いありません。ですから、彼女の日本産スイカズラは Parsons 経由のものではないようです。他にも Dickinson の日本産スイカズラの入手方法が幾つか考えられますが、1853年と1854年、ペリーの日本遠征の際に Samuel Wells Williams と James Morrow が日本で採集した植物の一つをもらった可能性が最も高いと思われます。彼女は日本の植物が到着した直後に、ワシントンDCに国会議員であった父親を訪問していましたので、日本から来た植物を見学し、その際に一株もらったのかもしれません。そうであれば、ペリーの『日本遠征記』の第2巻に収録するため、採集した植物のリストがエイザ・グレイ教授によって作成される前であり、まだ標本が特定されていなかったため、Japonicaという名前を付けることができなかったと考えられます。}, pages = {193--203}, title = {エミリ・ディキンスンと日本の花(1)-Lonicera Japonica 日本産スイカズラ-}, volume = {60}, year = {2013}, yomi = {ウノ, ヒロコ} }