@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002098, author = {別府, 恵子 and BEPPU, Keiko}, journal = {女性学評論, Women's studies forum}, month = {Mar}, note = {P(論文), 本稿は、1979年度「京都アメリカ研究夏期セミナー」における「南部文学の伝統」と題する専門家会議(同年7月28・29日開催)にて、口頭発表した「概要(アウトライン)」の主旨はアメリカ南部社会の歴史を通して、理想とされた<南部貴婦人像=the Southern Bell>が、南部文学の伝統(主に男性作家の手による)のなかで如何に描かれてきたか、また、現実社会および文学において類型化されてきた<南部貴婦人像>とその実像との落差を南部女性作家たちが如何に捉えているかを考察しようとするものであった。1979年といえば、当時、キャサリン・アン・ポーターはまだ存命中だったことになる。「概要(アウトライン)」では、恣意的に、キャサリン・アン・ポーター、フラナリー・オコナー、そしてカーソン・マッカラーズの三人の南部女性作家の名を列挙しておいた。「南部文学の伝統」の専門家会議に出席されていた同夏期セミナーの講師の一人であったノースカロライナ大学教授、ルイス・D・ルビン(Louis D.Rubin)氏は、私の口頭発表した「概要(アウトライン)」を"You are on the right track"(「大筋としては正しい方向にいっている」)と評されたと記憶する。キャサリン・アン・ポーターは翌年1980年に他界、その後10年近い歳月が流れ、その間に、本格的なポーター研究書およびジョーン・ギブナー(Joan Givner)の伝記(1982)など相次いで出版されている。当初の「概要(アウトライン)」を基に書いた拙論「ポーターの女たち」では、それらの伝記・研究書を参考にはしたが、構想の大枠およびその主旨はさして変わっていない。今回『女性学評論』に掲載のため最初にキャサリン・アン・ポーターを取り上げたのであるが、これを機会に今後、当時には名を挙げなかったエレン・グラスゴー、ユードラ・ウエルティー、またアン・タイラー、シャーリー・アン・グローなどの作品にみられる<南部貴婦人像=the Southern Belle>の推移を考察出来ればと考えている。}, pages = {49--66}, title = {〈落ちた偶像〉と南部女性作家(1) -キャサリン・アン・ポーターの女たち-}, volume = {2}, year = {1988}, yomi = {ベップ, ケイコ} }