@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002107, author = {別府, 恵子 and BEPPU, Keiko}, journal = {女性学評論, Women's studies forum}, month = {Mar}, note = {P(論文), この小論は、現実社会および文学において類型化されてきた「南部貴婦人像」とアメリカ南部女性作家たちの関わりを彼らの創造する女性像をとおして考察する論考の第二部である。前号の第一部では、キャサリン・アン・ポーターの女たち、特に作家の分身ともいえるミランダ・ゲイ(Miranda Gay)の成長過程を辿ることにより、家族の伝説に伝えられる「南部貴婦人」=the Southern Belleの実体が露呈されることを検討した。本論では、フラナリー・オコーナー(Flanneryo'Connor,1925-64)を取り挙げる。オコーナーの短い生涯は、紅班性狼蒼という難病との闘いであった。彼女は寡作作家ではあるが、密度の濃い多くの優れた短編を生み出した。「私にとって人生の意味は、キリストによる救済という点にある」と作者自ら述べるように、オコーナーの作品はキリスト教信教と魂の救いの問題を宗教的・哲学的に扱う。"The Life You Save May Be Your Own"(1953)と"Good Country People"(1955)という二つの作品にみられる母と娘(それぞれの分身である女たち)の描写とその物語をとおして、オコーナーは堕落した人間がその(原)罪故に神の恩寵に預かるというパラドックスを提示する。従来、キリスト教はじめ既成の宗教においては、伝統的に女は不浄なもの、従って「救い難し」とされてきたのであるが、オコーナーは、女たち- ルーシーネル母娘、ホープウェル母娘(とくにHulga/Joy)-をあえて醜く、嫌悪すべき人間として描くことにより、逆説的に彼らが、神の溢れる恵に預かるという罪と救いの「修正パラダイム」をつくり出したといえる。}, pages = {13--29}, title = {〈落ちた偶像〉と南部女性作家(II) -フラナリー・オコーナーの短編にみる母と娘-}, volume = {3}, year = {1989}, yomi = {ベップ, ケイコ} }