@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002108, author = {Baskett, Sam S}, journal = {女性学評論, Women's studies forum}, month = {Mar}, note = {P(論文), H.G.ウェルズの『海の女』(The Sea Lady)(1902)はエリオットの最初の重要な詩、「J.アルフレッド・プルフロックの恋の歌」("The Love Song of J.Alfred Prufrock")に重大な影響を与えた。『海の女』は英国の礼儀正しい(proper)若い芸術愛好家(ディレッタント)と彼の愛をもとめて海からやってきた人魚とのファンタジーである。優柔不断に苦しんだ後、彼は彼女と共に海に消えていく。プルフロックの葛藤も本質的には同じで、社会的因習のしがらみと人魚に象徴される無意識への渇望との間の逡巡である。ウェルズの主人公、シャタリス(Chatteris)の持つ多くの特長はプルフロックも共有する。さらに、主題や言語表現上の共鳴がみられる。もちろん、その主なものは人魚の比喩である。ウェルズの人魚の魅力は明らかにセクシュアルなものだがそれ以上のものでもある。シャタリスにとって、彼女は自然美、自由、夢(脅威を伴うが)であって、義務、調和の世界からの逃避を表わす。なによりも重要なのは、ウェルズが、シティーとディオニュシオスの間の、因習的秩序と神秘の世界との間の"根源的な闘い"を提供していることで、エリオットがウェルズのこの小品にひかれた理由がこの点にあろう。以上、3つの関連あるモチーフは若い詩人のこころの琴線に触れた。エリオットは、シャタリスのように、セクシャリティに関しては優柔不断であった。さらに広く言えば、シャタリスを苦しめる優柔不断はエリオットが自己診断をした"aboulie"(どのようなレベルにおいても決断する能力がない)と似ている。しかし、もっとも注目すべきことは、「J.アルフレッド・プルフロックの恋の歌」だけでなく、かれのすべての作品に見られる審美的重要性を左右する政治的、哲学的、性的衝動の単純な扱い方をエリオットはウェルズの『海の女』の中に見つけたのである。シャタリスとプルフロックの両者は、またその著者たちも、1980年代の視点からは不徹底とはいえ、今世紀はじめの新しい"性の自由"の問題を扱おうとした。エリオットは、多分自己防衛の偽装として、彼自身が恐れた衝撃的な失敗者の肖像(恐ろしいが魅力ある人魚が彼に歌わないかもしれないということ)をウェルズの材料の「流用」によってつくりだしたといえよう。}, pages = {31--42}, title = {官能性 -H.G.ウェルズとT.S.エリオット}, volume = {3}, year = {1989}, yomi = {バスケット, サム} }