@article{oai:kobe-c.repo.nii.ac.jp:00002109, author = {BASKETT, Belma}, journal = {女性学評論, Women's studies forum}, month = {Mar}, note = {P(論文), トーマス・ピンチョの『競売ナンバー49の叫び』The Crying of Lot 49(1965)とエリカ・ジョングのThe Adventures of Fanny Hackabout-Jones(1985)は出版されて以来、かなりの注目を集めているが、それらに共通の点があることにはあまり注目されていない。事実、ジョングの小説はジョン・クレンダの18世紀のピカレスク小説、『ファニーヒル』の野卑な風刺であり、一方、ピンチョンの小説は博学のポストモダニストが、崩壊した世界におけるいくつかの文学的ディレンマを探求したものである。しかし、この二つの作品は別々の様式にもかかわらず(それぞれの中心人物はピカラである)、ピカレスク小説の伝統の斬新な修正、補強を提供する。目撃者、被害者としてのピカラの伝統はファニーとエディパの両方にあてはまる。外界の影響が彼女たちをピカレスクの冒険へと追いやり;彼女たちは環境と男性支配社会の被害者である;放浪の間彼女たちは異常でマージナルな出来事を目撃する。そして彼女たちの冒険が続くにつれて、二人のピカラは女性として従属的でなくなり外界に反応しやすくなる。結論として、『ファニー』の最後では、ジョングのピカラは社会的、文学的成功をおさめ、彼女の冒険は完結し、彼女のフェミニストとしての姿勢は確立され、作品の目的は遂げられたということができるだろう。一方、『競売ナンバー49の叫び』の最後で、エディパは、不条理主義者ピンチョンの本質的に反フェミニスト的な立場が禁じるピカレスクの冒険の終結を予期しながらも、宙ぶらりの状態のまま終る。}, pages = {43--60}, title = {2人のピカラ:ファニーとエディパ}, volume = {3}, year = {1989}, yomi = {バスケット, ベルマ} }